鎌倉の極楽寺にひっそりと使われなくなった古民家が佇んでいました。土台は腐り、屋根はボロボロ、建物も歪んでおり、普通なら解体されてしまう状態の古民家。ただ、この古民家の歴史を思うと保全して後世に残していきたいという思いになったのです。その歴史とは。。。
本住宅は昭和19年3月に建築されました。昭和19年と言えば太平洋戦争の真只中、 日本軍の劣勢が伝えられ都心部には 「疎開令」 が発令された年。当時、真崎大和鉛筆 (現三菱鉛筆) 常務であった数原三郎氏が会社所在の東京都品川区大井から疎開目的の為、本地、神奈川県鎌倉市極楽寺にある入り組んだ谷戸の山腹にひっそりと隠れるようにこの建物を建築しました。戦時中のさなか、材料を集めるだけでも 大変だったであろう時期、簡素ながらも来賓応接用の洋室、日本的な茶室、二間和室、裏の崖には防空壕を備えた日本家屋を建築しました。アメリカ軍の爆撃機が上空を通る度に、貴重品を防空壕に運び入れる日々を過ごして耐えていたと当時の状況が語り継がれています。その後、戦争を乗り越え、 数原三郎氏は1945年真崎大和鉛筆社長に就任、 1952年には社名を三菱鉛筆と改め初代社長に就任。引退後、この鎌倉極楽寺の家をたびたび訪れ、鳥のさえずりを聞きながら、余生を過ごしたと語り継がれています。
戦時下から戦後復興へのこのような歴史を持つ古民家、太平洋戦争の歴史を引き継ぐ文化的な価値が高く、後世へと保存するために大改修を行うことにしました。建築当時の戦時中、「色の無い世界」に建てられた本住宅。その後、日本は華々しい「色鮮やかな世界」へと変貌を遂げました。そのような歴史に思いを馳せて、鉛筆の6角形にあやかり、 三菱鉛筆が採用している日本古来の「6つの色を取り込んだ世界」をこの家の6つのコーナーに注ぎ入れ改修を行いました。そこから生まれたのが 6C GOKURAKUJI というイメージコンセプトです。改修により蘇った古民家を 6C GOKURAKUJI と名付け、一般の方にも宿泊先として活用して頂き、6C GOKURAKUJI の歴史を共有して頂ければ嬉しく思います。そして、末永く保存活動を遂行していきたく思っております。このHPでは 6C GOKURAKUJI の日々の様子を紹介していければと思います。